棚経

蒸し暑い日が続いている。先日、雷雨があり、雷鳴に驚いてしまった。梅雨明けが、近いのだろう。今日は、7月13日。多治見市は、7月お盆だ。今朝、お寺から、棚経に来られた。御膳を供えて、お経を聴いていると、亡くなった両親と2人の兄を、思い出した。普段は、意識しなくても、お盆になると、思い出してしまう。亡くなると、話も出来なくなる。最近、棚経を断る人もいるけれど、亡き人を偲ぶ良い機会だ。先日、福祉センターで、「終活」セミナーを聴いた。昨年、5区の福祉委員会でも取り上げたセミナーだ。誰しも訪れる「エンディング」。僕は、今年70歳になる。いわゆる古希だ。大学の同期会があり、記念写真が送られてきた。大半が白髪で、顔と名前が一致しない人も多かった。毎年年賀状を出している友人は、すぐ分かったが、そうでない人は、分からなかった。高校の同期会でも、分からない人が多い。市内を歩いていても、気が付かない。これは、仕方が無い事だ。僕も、若い頃は、人並みに希望を持っていたが、今は少ない。足腰膝が悪くなって、階段の上り下りに、苦労するようになった。食事は摂れるけれど、長くは歩けない。学生時代は、山歩きを趣味にしていたが、今は無理だ。自転車で、走るだけだ。一人で出来る事が少なくなった。その内、車椅子や介助が必要になる時が来るだろう。考えると、暗い事ばかりだ。夜中に、起きる事も多くなった。朝迄、熟睡出来ない。眠りが浅くなった。夜中に、ぼんやりしている時が多い。大相撲名古屋場所を見ていると、巨漢力士がまぶしくなる。僕は、千代の山、吉葉山、栃錦、若乃花、の頃からの、相撲ファンだ。久し振りに、観戦したくなったが、入場券が売り切れ状態のようだ。若くして亡くなった小林麻央さん。女性の乳癌は、他人事ではない。北朝鮮のミサイルより、危険な病気だ。まさか、我が身に降りかかるとはと思うのだろう。桜の咲く頃とお盆は、生きている命を、より考えてしまう。ブログの記事は、生きている間は、書くつもりです。どうかよろしく。

麦の会(27)

新緑が深くなってきた。季節の移ろいに、無常観を感じてしまう。毎日のニュースを見ていると、平和な世界とは思えない。桜の季節から、紫陽花へ移り、今は、緑が深くなっている。今朝は、「麦の会」があった。女性4名、男性1名の参加。「弱さを抱えて歩む」(堀肇著)の中で、B:ほんものを探し続けてを読んでいる。16、熱くなる同伴の旅ーエマオ途上の弟子 17、透明感ある真摯な求道ーエチオピアの宦官 18、嫌われ者を変えた出会いーマタイの3章を読んだ。16、は、物語として味わい深い話です。「不朽の短編」とも言われます。二人の弟子が、エマオへ向かう途中、イエスが同行しても、分からなくて、暗い顔をしていた。復活を知っていても、体験として理解出来なかった。そこで、パンを裂いた時に、目が開けた。これは、人生の旅路の「恵みの機会」を捕らえたのです。17、はエルサレムからエチオピアへ帰る途中の話。馬車に乗った宦官は、「イザヤ書53章」を読んでいたが、ピリポが説き明かしをして、イエスだと分かった。そしてすぐに、洗礼を受けた。ここには、「救いを求める謙虚で美しい魂」を見る思いです。人間の美しさは、真理に対する求道、探究の心にあります。18、は取税人として嫌われていたマタイが、イエスの「わたしについて来なさい」の言葉に、すぐさますべてを捨てて、イエスに従ったのです。マタイは、肉声が伝えられていないため、行動で知るしかありません。嫌われていたため、疎外感、寂寥感に苛まれていたのです。それで、素早く生き方を変えたのです。マタイは、「収税所のテーブルを去ったとき、ペンを持って去った」のですが、そのペンで、イエスの生涯の記録を世界に提供したのです。マタイは、印象の薄い人物ですが、イエスの招きを喜んでいたのです。 以上が、今回の学びです。

梅雨入り

今日、「梅雨入り」と、発表された。雨音が聞こえる中、過ごしている。また、「退位」特例法案が、参議院審議会で、可決された。北朝鮮の核・ミサイル開発は、将来を案じてしまう。戦争になったら、壊滅的な結果になる。最近、足腰膝の具合が悪くなったため、動作がのろくなり、階段の上り下りに、苦労する。高齢者の歩き方になっている。足を引きづって歩いている。65歳以上は、高齢者とされている。多治見市では、約30%が、その中に入る。今年の3月に、第5区の「TGKいきいきサロン」が、市役所内に設けられた。月曜日の朝10時から12時まで開かれる。近所の人達が、集う場所になるだろう。高齢化対策は、待った無しで、現実的な問題だ。昨年度、「ジョイフル多治見見学」、「認知症サポーター養成講座」、「終活セミナー」を、開いたが、参加する人は少なかった。高齢の方は、家から出ないからだ。梅雨の季節は、梅干しや梅酒を作るけれど、最近作るのが面倒になってきた。これは、老化なのだろう。意欲が無くなるのは、認知症の始まりだ。旅番組をよく見るが、海外は、行く気がしなくなった。国内も、近い所だけだ。2月に、恵那峡の国際ホテルに行ってきた。友人6名で。泊りがけは、久し振りだった。朝風呂に入って、朝食バイキングを食べてきた。桜や紅葉はなかったが、泊り客は多かった。皆で、「上げ膳据え膳」はいいねと話した。たまに行くのは、「命の洗濯」になる。僕も、「断捨離」や「終活」を考える年齢になったのだろう。時々、大学紛争の頃を、思い出す。今朝,昭和46年11月の渋谷暴動事件での中核派の大坂正明容疑者が逮捕されたニュースが報じられた。46年間逃亡していた。その報道に接して、当時の熱気が甦ってきた。しかし皆、高齢者になった。2020年の東京オリンピックまで生きられるのだろうか。「梅雨入り」は、アジサイの花に象徴される。しっとりした季節だ。今は、平穏な日々が続いて欲しいだけだ。

麦の会(26)

暖かくなってきた。5月下旬は、半袖姿の人も見かける。晴天の日が続いている。自転車で走っているため、青空は有難い。僕の家の周辺でも、工事をしている。僕の家は、築70年以上になるため、新築の家を見ると、住んでみたくなる。今月も、麦の会があった。出席者は、女性4名、男性は、僕だけの1名。「弱さを抱えて歩む」(堀肇著)を読んでいる。今回は、B:ほんものを探し続けて。13.愛を退けないでー富める青年 14.疑いは純粋性のあかしートマス 不安も疑問もそのまま話すー使徒ピリポ の3章を読んだ。13.は、有名な話で、映像的な記憶が残ります。青年は、模範的な生き方をしていましたが、「永遠のいのち」を得るために何をしたら良いのかと、イエスの御前に膝まずいて、問いました。イエスは、財産を売り払い、貧しい人に施しをしてから、付いてきなさいと言われました。しかし、青年は、悲しんで、去っていきました。イエスの愛を受け取らなかったのです。14は、12弟子の1人であるトマスの話。イエスが復活した時、その場にいなかった。そして、「私の手を、わきに差し入れなければ、信じない」と言いました。このため、疑い深いトマスとして有名になりました。しかし、私達も、同じように、見なければ信じないと思うでしょう。トマスには、愛と純粋性があったのです。15は、弟子の中でも、前景に出てこない人物です。5千人に食物を与える場面で、「パンが足りない」と言ったり、エチオピアの宦官に、イザヤ書の解き明かしをして、洗礼を授けた話が、有名です。イエスと長く一緒にいても、疑問をぶつけています。純粋性のある人で、ひかれます。表には、あまり現れないけれど、味わい深い弟子なのです。以上が、今回の学びです。新しい発見がある学び会のため、長く続けられている。次回は、6月28日(水)の予定。

麦の会(25)

雨の降る日は、外出するのを、ためらってしまう。桜も、染井吉野は、散り終えたが、枝垂れ桜は、まだ花が残っている。雨が降ると、散ってしまう。今年は、寒いため、石油ストーブを、まだ使っている。朝夕は、まだ必要だからだ。今朝、教会の「麦の会」があった。女性8名、男性は、僕一人だけ。合計9名だった。牧師先生は、引退されたため、出席されなかった。今は、「弱さを抱えて歩む」(堀肇著)を読んでいる。その4回目だ。今回から、章が変わり、「ほんものを探し続けて」に入った。10、星を見つめる旅路ー東方の博士たち 11、救いの到来を待つーシメオンとアンナ 12、もう人目を恐れないーニコデモ の3つを学んだ。10、は、キリスト降誕の物語やクリスマスカードを思い出す人が多いでしょう。星に導かれて、バビロニアからベツレヘムの千六百キロの道程を、旅して来られた。ここには、真摯に真理を探究する「求道」の姿があります。「真理とは何か」と、探究して、幼子イエスにたどり着いたのです。また、美の本源は、それを創られた神にあるのだと認識しました。人は、星を見続けていけば、ベツレヘムにたどり着けるのです。一輪の花を見つめる事によってさえも与えられる世界なのです。 11、は、現代は、「待つ」事が、難しい時代です。しかし、降誕物語に登場するシメオンとアンナは、何百年も前に預言された、救い主の到来を、待ち望んでいたのです。このような気の遠くなる「待ちかた」をしているのは、自分の願望ではなく、神を信じ希望を持って待つというものです。「信じる」ことを土台にしていると、「待ち望む」事が出来るのです。12、は、ニコデモが、夜間にイエスに会いに行く話です。彼は、ユダヤ人の指導者であり、社会的に高い人物でした。しかし、人目を恐れて、イエスに、「救われるにはどうしたらよいのか」と、夜間に質問したのです。イエスは、「新しく生まれる」事を答えられました。彼は、後に、イエスの十字架の埋葬の時、遺体の防腐用の没薬とアロエを持ってきました。「夜の訪問者」が、白昼堂々と、信仰告白をしたのです。もう「隠れた弟子」ではなくなったのです。ニコデモのような信仰は、現代人にもよくあります。特に日本人は、世間体を気にして「隠れた弟子」になる人が多いのです。以上が、今回の学びです。皆で話し合うと、理解が深くなります。これが楽しいのです。