麦の会(24)

風は冷たいけれど、陽射しは明るくなった。梅が咲いて、桜の便りが、聞かれるようになった。春になると、心が浮き浮きする。散策していると、蕾の膨らんだ樹を見かける。来週には、桜が咲き出す。毎年、同じ時期に、咲くのは不思議な思いになる。20日に、多治見高と報徳学園の、試合があった。甲子園出場は、多治見工業高以来、58年振りだ。前回は、僕が、10歳の時だ。あの時、家のテレビで、見ていた。初戦の姫路商に、1対0で負けた。今回は、強豪相手に、どんな試合をするのか興味があった。結果は、21対0の大敗だった。初回から、点を取られて、最後まで反撃出来なかった。しかし、赤いソックス姿のユニフォームは、高校生らしかった。負けても、爽やかな印象だった。精一杯プレーしていた姿は、甲子園を去る選手達への、大きな拍手に現れていた。実力から言って、次の甲子園出場は、難しいだろう。
22日は、僕の誕生日だ。69歳になった。子供の頃は、友人達と誕生会をした。本当に嬉しかった。今は、あまり嬉しくない。また、教会の「麦の会」があった。今は、「弱さを抱えて歩む」(堀 肇著)を読んでいる。牧師先生が引退されたため、次の方が来られるまで、参加者だけで、行う事になった。今回は、女性7名、男性1名の参加だ。読んだ箇所は、7、人は正気に戻れるーゲラサの男 8、恥も外聞も捨てる心ー嘆願した親たち 9、私を思い出してくださいー十字架上の犯罪人の3章だ。7は、悪霊につかれたゲラサ人が、イエスの圧倒的な力によって、悪霊から解放され、正気に戻る話です。その悪霊が、2千匹の豚に入り、豚が湖に飛び込むのです。この話は、人間の中核には、正気に戻れる領域があり、混乱した心でも、解放されるという意味です。8は、恥も外聞も捨てて、なりふり構わず、イエスに、子供の命を救って欲しいと願う親の姿です。「涙に満ちた愛」を注いでもらった子供は、幸せです。9は、自分の死を意識すると、誰しも不安に襲われます。十字架には、イエスの他に、2人の犯罪人が磔になりました。その内の一人が、悔い改めて、イエスに「思い出してください」と懇願しました。すると、イエスは、「あなたはきょう、わたしとともに、パラダイスにいます」と約束されました。この話は、最後の瞬間でさえ、神に心を向けることが出来る事を、示しています。以上が、今日の学びです。みことばは、深い示唆を与えてくれます。

麦の会(23)

陽射しは、明るくなってきたが、寒い日が続いている。石油ストーブを入れていても、隙間風で寒い。古い家なので、隙間が多いからだ。長く入れていると、石油がすぐに無くなってしまう。今日は、月1回の「麦の会」に出席した。女性8名男性2名の、合計10名だ。今は、「弱さを抱えて歩む」(堀 肇著)を読んでいる。この本では、2回目だ。内容は、4、死別の悲嘆に慰めをーナインの母親 5、本気の友情は、美しいー中風の人の四人の友 6、古き「群像」をあとにしてー十人の病人 の三章を読んだ。4、は、息子を亡くしたナインのやもめが、泣いている所に、イエスが通りかかり、「泣かなくてよい」と言われ、棺に手をかけ「起きなさい」と命じられると、その息子は、起き上がって話し出したのです。5、は、中風の人が、四人の友によって、屋根を剥がして、イエスの所に、吊り下げて降ろされたところ、イエスは、「子よ。あなたの罪は赦されました」と語られたのです。そして、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と、彼の病を癒されました。この四人の友人は、「本気で彼のことを思い」行動したのです。本気の友情を示したのです。6、は、皮膚病にかかった十人が、遠くから、「イエス様、先生。どうぞあわれんでください」と、病の癒しを懇願したのです。イエスが、彼らの願いを聴き入れて、癒されました。しかし、一人のサマリヤ人だけが、イエスに感謝しただけだった。残りの九人は、イエスの元に来なかった。サマリヤ人だけが、九人の古き「群像」を後にして、新しい絆の世界に入ったのです。以上が、今日の学びです。比較的、分かり易い話ばかりだった。3月は、22日にある。僕の誕生日だ。誕生祝いは、「麦の会」になるだろう。

麦の会(22)

一年で一番寒い時期。朝起きる時に、時間がかかる。水曜日は、公休日のため、商店街が静かだ。今朝は、教会で「麦の会」があった。参加者は、女性8名、男性1名、牧師1名の、合計10名だ。聖書を読んで、語り合う会。今回から、「弱さを抱えて歩む」(堀肇著)を読み始めた。今日は、A:必死に助けを呼び求め から、1、一縷の望みに手を伸ばすーイエスの衣にふれた女 2、嘆きの場を与えられてーベテスダの池の病人 3、闇から光に向かって叫ぶーバルテマイの3話を読んだ。1、は、12年間長血をわずらっていた女の話。女は、必死になって、イエスの衣に触れて、癒されたのは、「あなたの信仰があなたを直した」と言われた。これは、信仰のモデルです。「力のかぎりふさをつかむ者は、幸福なるかな」(モーリヤック)です。2、は、ベテスダの池の病人の話。そこに38年間も伏せっている男がいた。イエスは、「よくなりたいか」と問い、「床を取り上ゲて歩きなさい」とだけ言われました。すると、男は床を取り上げて歩き出しました。「嘆きの場」を与えられたため、イエスに救われたのです。3、は、盲人バルテマイは、イエスを見ると、必死に「叫び立てた」のです。「見えるようになることです」と嘆願しました。すると、「あなたの信仰があなたを救ったのです」と言われ、眼が見えるようになりました。悲しみ叫ぶということは、闇から光に向かう道程です。それを通して、心の眼が、開かれるのです。神に向かって、「叫ぶこと」は信仰の表明なのです。以上が、今回の学びです。皆で、話し合うのは、理解が深くなる。毎月一回の集まりが、楽しみだ。

新年(2017年)

新年明けましておめでとうございます。2017年(平成29年、酉歳)。新年の抱負は、あまり無い。今までの生活の延長だからだ。達成も出来ない希望を言うのは、止めにしたい。年々正月は、簡素になっている。正月が、普通の連休になった。しかし、来年の正月は、どのようになるのだろう、とは思う。自分より年下の人が、亡くなると、特に思う。年賀状も枚数が減ってきた。家族が多いと、枚数が多くなる。テレビ番組も、「おせち番組」と揶揄されていたが、今年は、馬鹿騒ぎが少なかった。初詣では、近くの新羅神社へ行った。おみくじを引いて、お賽銭をあげた。心の中で、「今年も、良い年であるように」と呟いた。スーパーの初売りにも行ったが、何も買わなかった。昔のような心がときめく感じは無い。鏡餅が山積みされているのは、正月らしい。親戚の人が訪ねて来ると賑やかになるが、それも無い。全く静かな正月だった。兎にも角にも、新年になった。今年も、昨年とさして変わらない一年を過ごしたい。新年から、内容の無い記事になった。もっと内容のある楽しい記事を書きたい。これがささやかな抱負になるのだろう。皆様も、良い一年をお過ごしください。

麦の会(21)

師走も押し詰まり、慌しい時期になっています。今年も、様々な出来事があった。僕自身は、あまり変わらないけれど。新潟県糸魚川市の大火は、火の元に注意したいと思わせた。今朝は、教会の麦の会に、出席した。11名が参加した。今回で、「大切なものはわずかです」(ローラ・インガルス・ワイルダー著)を読み終える。最終回は、27、母の責任、娘の義務 28、つきあいづらい隣人について 29、母の思い出 の3章を学んだ。27、は母からの手紙を読むと、子供の頃に返り、胸がいっぱいになると語り、自分が母になった時、母の愛の強さに感嘆したと言う。子供を育てて、次世代につなげる女性は、「揺りかごを揺らす手は、世界を治める手」であると断言します。28、は、ご近所のつきあいづらい人について。「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」と言ったイエス。隣人に対する態度は、友人や知人への態度に驚くほど、反映されます。近所づきあいをしない人は、必要な助言をも与えられません。また、訪ねて来る人もいなくなります。29、は、母の死を告げる電話によって、暗闇や悲しみに包まれた経験から、母親のいない家庭は、寂しい場所になると言います。確かに、僕もそう思います。「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある」(詩篇30:5)。思い出だけが残るのですが、良い思い出を心の中にしまっている人は、他の人たちに良い思い出を作ってもらえるような存在になれるのです。これは、すばらしい真理です。今回の学びは、以上です。今回は、女性の子育ての話が多くて、僕は、発言する場面がなかった。女性は、盛り上がっていたが。次回からは、「弱さを抱えて歩む」(堀 肇著)を読んでいく。皆で語り合うと、理解が深くなるから、出席するのは止められない。今年も、残り4日間になった。賑やかなお正月は、良い思い出になります。