麦の会(26)

暖かくなってきた。5月下旬は、半袖姿の人も見かける。晴天の日が続いている。自転車で走っているため、青空は有難い。僕の家の周辺でも、工事をしている。僕の家は、築70年以上になるため、新築の家を見ると、住んでみたくなる。今月も、麦の会があった。出席者は、女性4名、男性は、僕だけの1名。「弱さを抱えて歩む」(堀肇著)を読んでいる。今回は、B:ほんものを探し続けて。13.愛を退けないでー富める青年 14.疑いは純粋性のあかしートマス 不安も疑問もそのまま話すー使徒ピリポ の3章を読んだ。13.は、有名な話で、映像的な記憶が残ります。青年は、模範的な生き方をしていましたが、「永遠のいのち」を得るために何をしたら良いのかと、イエスの御前に膝まずいて、問いました。イエスは、財産を売り払い、貧しい人に施しをしてから、付いてきなさいと言われました。しかし、青年は、悲しんで、去っていきました。イエスの愛を受け取らなかったのです。14は、12弟子の1人であるトマスの話。イエスが復活した時、その場にいなかった。そして、「私の手を、わきに差し入れなければ、信じない」と言いました。このため、疑い深いトマスとして有名になりました。しかし、私達も、同じように、見なければ信じないと思うでしょう。トマスには、愛と純粋性があったのです。15は、弟子の中でも、前景に出てこない人物です。5千人に食物を与える場面で、「パンが足りない」と言ったり、エチオピアの宦官に、イザヤ書の解き明かしをして、洗礼を授けた話が、有名です。イエスと長く一緒にいても、疑問をぶつけています。純粋性のある人で、ひかれます。表には、あまり現れないけれど、味わい深い弟子なのです。以上が、今回の学びです。新しい発見がある学び会のため、長く続けられている。次回は、6月28日(水)の予定。

麦の会(25)

雨の降る日は、外出するのを、ためらってしまう。桜も、染井吉野は、散り終えたが、枝垂れ桜は、まだ花が残っている。雨が降ると、散ってしまう。今年は、寒いため、石油ストーブを、まだ使っている。朝夕は、まだ必要だからだ。今朝、教会の「麦の会」があった。女性8名、男性は、僕一人だけ。合計9名だった。牧師先生は、引退されたため、出席されなかった。今は、「弱さを抱えて歩む」(堀肇著)を読んでいる。その4回目だ。今回から、章が変わり、「ほんものを探し続けて」に入った。10、星を見つめる旅路ー東方の博士たち 11、救いの到来を待つーシメオンとアンナ 12、もう人目を恐れないーニコデモ の3つを学んだ。10、は、キリスト降誕の物語やクリスマスカードを思い出す人が多いでしょう。星に導かれて、バビロニアからベツレヘムの千六百キロの道程を、旅して来られた。ここには、真摯に真理を探究する「求道」の姿があります。「真理とは何か」と、探究して、幼子イエスにたどり着いたのです。また、美の本源は、それを創られた神にあるのだと認識しました。人は、星を見続けていけば、ベツレヘムにたどり着けるのです。一輪の花を見つめる事によってさえも与えられる世界なのです。 11、は、現代は、「待つ」事が、難しい時代です。しかし、降誕物語に登場するシメオンとアンナは、何百年も前に預言された、救い主の到来を、待ち望んでいたのです。このような気の遠くなる「待ちかた」をしているのは、自分の願望ではなく、神を信じ希望を持って待つというものです。「信じる」ことを土台にしていると、「待ち望む」事が出来るのです。12、は、ニコデモが、夜間にイエスに会いに行く話です。彼は、ユダヤ人の指導者であり、社会的に高い人物でした。しかし、人目を恐れて、イエスに、「救われるにはどうしたらよいのか」と、夜間に質問したのです。イエスは、「新しく生まれる」事を答えられました。彼は、後に、イエスの十字架の埋葬の時、遺体の防腐用の没薬とアロエを持ってきました。「夜の訪問者」が、白昼堂々と、信仰告白をしたのです。もう「隠れた弟子」ではなくなったのです。ニコデモのような信仰は、現代人にもよくあります。特に日本人は、世間体を気にして「隠れた弟子」になる人が多いのです。以上が、今回の学びです。皆で話し合うと、理解が深くなります。これが楽しいのです。

お花見

4月に入っても、雨が降って、肌寒い日が続いている。桜の花が咲いても、寒かった。9日の日曜日に、友人達と、虎渓公園で、お花見をした。桜の花は、日本人が好きで、お花見も盛んだ。今年は、雨降りが続いたけれど、日曜日は曇り空だった。地面がぬかるんでいたため、ござは敷けなかった。そのため、屋根のある茶店で、木の芽田楽、五平餅、おでん、ビール、お酒で、お花見をした。風は冷たくて、花見客も少なかった。しかし、語り合うのは楽しいものだ。以前住んでいた札幌市では、5月の連休の頃に、満開になる。お花見に行くと、赤ら顔の酔客が、笑って楽しそうだ。時には、酔客に絡まれるが・・・。虎渓公園に、新しく展望台が、設置された。上がって見ると、多治見市も、満更でもない景色だ。この展望台に、寄付金を納めた人の名前が、プレートに刻まれて、取り付けられている。僕の名前も、ある。公園に行くと、僕の名前を確認する。永久に保存されるから、僕が死んでも、残る。お花見をすると、来年は、桜が見られるのだろうかと、ふと思う。それは、桜の花の持つ力なのだろう。他の花では、思わないからだ。陶祖祭も、雨に降られたため、人出は少なかった。昔は、餅投げがあった。それが、楽しかった。今年は、70回記念という。長く続いて欲しいお祭りだ。友人達の中には、甲子園に見に行った人がいて、大観衆の声援の凄さを、言っていた。多治見高校は、21-0で負けたが、応援の優秀賞を獲得した。テレビでは、応援の様子が、あまり中継されなかった。次に多治見の高校が、出場するのは、何時なのか分からない。90台近いバスで、3千5百人を超える人が、甲子園に向かった。皆は、忘れられない思い出になったのだろう。今年度は、町内の体育委員をする。隣りの人が、町内会長をするから、頼まれた。過去何度もしたから、要領は分かっている。今年も、幸せな日々が過ごせたら嬉しいと、思いながら、公園を後にした。

麦の会(24)

風は冷たいけれど、陽射しは明るくなった。梅が咲いて、桜の便りが、聞かれるようになった。春になると、心が浮き浮きする。散策していると、蕾の膨らんだ樹を見かける。来週には、桜が咲き出す。毎年、同じ時期に、咲くのは不思議な思いになる。20日に、多治見高と報徳学園の、試合があった。甲子園出場は、多治見工業高以来、58年振りだ。前回は、僕が、10歳の時だ。あの時、家のテレビで、見ていた。初戦の姫路商に、1対0で負けた。今回は、強豪相手に、どんな試合をするのか興味があった。結果は、21対0の大敗だった。初回から、点を取られて、最後まで反撃出来なかった。しかし、赤いソックス姿のユニフォームは、高校生らしかった。負けても、爽やかな印象だった。精一杯プレーしていた姿は、甲子園を去る選手達への、大きな拍手に現れていた。実力から言って、次の甲子園出場は、難しいだろう。
22日は、僕の誕生日だ。69歳になった。子供の頃は、友人達と誕生会をした。本当に嬉しかった。今は、あまり嬉しくない。また、教会の「麦の会」があった。今は、「弱さを抱えて歩む」(堀 肇著)を読んでいる。牧師先生が引退されたため、次の方が来られるまで、参加者だけで、行う事になった。今回は、女性7名、男性1名の参加だ。読んだ箇所は、7、人は正気に戻れるーゲラサの男 8、恥も外聞も捨てる心ー嘆願した親たち 9、私を思い出してくださいー十字架上の犯罪人の3章だ。7は、悪霊につかれたゲラサ人が、イエスの圧倒的な力によって、悪霊から解放され、正気に戻る話です。その悪霊が、2千匹の豚に入り、豚が湖に飛び込むのです。この話は、人間の中核には、正気に戻れる領域があり、混乱した心でも、解放されるという意味です。8は、恥も外聞も捨てて、なりふり構わず、イエスに、子供の命を救って欲しいと願う親の姿です。「涙に満ちた愛」を注いでもらった子供は、幸せです。9は、自分の死を意識すると、誰しも不安に襲われます。十字架には、イエスの他に、2人の犯罪人が磔になりました。その内の一人が、悔い改めて、イエスに「思い出してください」と懇願しました。すると、イエスは、「あなたはきょう、わたしとともに、パラダイスにいます」と約束されました。この話は、最後の瞬間でさえ、神に心を向けることが出来る事を、示しています。以上が、今日の学びです。みことばは、深い示唆を与えてくれます。

麦の会(23)

陽射しは、明るくなってきたが、寒い日が続いている。石油ストーブを入れていても、隙間風で寒い。古い家なので、隙間が多いからだ。長く入れていると、石油がすぐに無くなってしまう。今日は、月1回の「麦の会」に出席した。女性8名男性2名の、合計10名だ。今は、「弱さを抱えて歩む」(堀 肇著)を読んでいる。この本では、2回目だ。内容は、4、死別の悲嘆に慰めをーナインの母親 5、本気の友情は、美しいー中風の人の四人の友 6、古き「群像」をあとにしてー十人の病人 の三章を読んだ。4、は、息子を亡くしたナインのやもめが、泣いている所に、イエスが通りかかり、「泣かなくてよい」と言われ、棺に手をかけ「起きなさい」と命じられると、その息子は、起き上がって話し出したのです。5、は、中風の人が、四人の友によって、屋根を剥がして、イエスの所に、吊り下げて降ろされたところ、イエスは、「子よ。あなたの罪は赦されました」と語られたのです。そして、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と、彼の病を癒されました。この四人の友人は、「本気で彼のことを思い」行動したのです。本気の友情を示したのです。6、は、皮膚病にかかった十人が、遠くから、「イエス様、先生。どうぞあわれんでください」と、病の癒しを懇願したのです。イエスが、彼らの願いを聴き入れて、癒されました。しかし、一人のサマリヤ人だけが、イエスに感謝しただけだった。残りの九人は、イエスの元に来なかった。サマリヤ人だけが、九人の古き「群像」を後にして、新しい絆の世界に入ったのです。以上が、今日の学びです。比較的、分かり易い話ばかりだった。3月は、22日にある。僕の誕生日だ。誕生祝いは、「麦の会」になるだろう。