FC2ブログ

第48回多治見まつり

11月3日(土)は、文化の日。また第48回多治見まつりでもあった。秋の空気になり、涼しくなった。夏の猛暑が、信じられないほどだ。4月の陶祖祭は、歴史が長いけれど、10月の茶碗まつりや11月の多治見まつりは、歴史が浅い。1970年に始まった多治見まつりは、48回になる。昼の2時から、行列がスタートした。多くの団体が参加している。幼稚園児の鼓笛隊や、よさこい踊り、高校生のチアガール、皆、軽快に歩いていた。足の悪い僕にとっては、軽快に歩ける人が、羨ましくなる。メインは、時代武者行列だ。戦国武将の装束で歩いている。今までのゲストは、俳優の吉田栄作さんや、東京ディズニ―ランドのパレードがあった。しかし、今年は誰も来なかった。このパレードは、家の前を通るから、毎年見ている。10月の新羅神社例大祭は、御神輿が出る。この御神輿は、練り歩くから、家のドアにぶつかりそうになる。その点、多治見まつりの行列は、安心して、見ていられる。ニュースでは、文化勲章の親授式と、写真撮影の様子が、報じられていた。平成最後の親授式だ。僕には、欲しくても、決して貰えない文化勲章。授賞者は、晴れがましい。この世に生まれて、何を残して行くのだろう。顕著な業績を残し、社会の幸福のために、尽力したいと思うけれど。自分より若い人が、亡くなると、考え込んでしまう。僕の生活状況では、勲章を貰える事は無いだろう。せめて、周囲の人たちを、幸せにしてあげたい。最近、目が悪くなり、本が読めなくなった。図書館の本も、借りなくなった。20代の頃は、よく読んでいた。このまま朽ち果てていくのだろうか。そうは思いたくない。生きている間は、頑張りたい。

ウォーキング大会

爽やかな秋の空気になってきた。秋空は高くて、「天高く馬肥ゆる秋」そのものだ。10月28日(日)に、第5区のウォーキング大会があった。参加者は、約60名。朝9時30分頃に、市役所へ行った。10時頃には、皆集まってきた。コースは、ショートとロングの2コース。10時15分に、出発した。ショートは、修道院まで。ロングは、虎渓山を一周する。僕は、ショートのコース。11時頃に着いた。その後、聖堂内で、信者さんが、教会の説明をされた。天井が高くて、見上げていると、首が痛くなった。約30分間話された。その後、バーベキューになった。焼きそばや牛肉、手羽先、それにお握りが出された。少ししてから、ロングの人達が加わった。皆で、賑やかに食べ始めた。食べている人は、皆笑顔だった。子供も多くて、笑いが絶えなかった。途中から、ビンゴゲームが始まった。数が揃うと、「ビンゴ」になり、景品が貰える。早い内に、「ビンゴ」になると、景品が良いものになる。拍手も起こり、笑い声も大きくなった。僕は、参加賞だった。人は、食べている時、自然に笑顔になるものだ。体育委員と青少年委員の行事は、「盆踊り大会、防災訓練、ウォーキング大会」がある。普段は、会釈するだけの人でも、打ち解けて話せるのが良い。地域のつながりが、薄くなっているけれど、行事をすると、皆仲良く、和気藹々になる。もう止めた方が良いと言う人もいるけれど、長く続けたいものだ。確かに、準備には、人手が必要だし、委員会も、6回開かれて、面倒な事も多い。若い人達が、受け継いで行って欲しい。歩いて、食べたため、家に着いたら、足腰が痛くなった。夜は、早目に休んだ。来年は、台風で中止になった防災訓練を、実施して欲しい。幸いにも、盆踊り大会とウォーキング大会は、好天に恵まれた。この大会はコスモスの花が、目を楽しませる秋の一日だった。

麦の会(41)

秋の空気が、爽やかになってきた。青空が、高くなってきた。今朝は、月に一度の「麦の会」があった。9月は、日間賀島の旅と、重なったため、休んだ。久し振りの会になった。本は、「たましいの慰め こころの余裕」(堀肇著)を読んでいる。聖書を読んで、讃美歌を歌い、本を読んだ後、話し合う会だ。今日は、9、その人が存在するだけで 10、生活に「すきま」を の2章を読んだ。9は、電話相談のエピソ―ドから、人の「存在」のあり方について、書かれています。相談する人に対して、安心感と希望を与えることが大切です。愛と信頼のまなざしをもって、見守るのです。信頼できる人が、「存在」する事により、前向きになれるのです。そのためには、人のこころの傷がわかる事が必要です。それは、主イエスが、十字架上で、傷を受けられて、私たちを慰めてくれるのと同じです。10は、信仰生活は、永遠のいのちを与えられるだけではなく、人間性が変化するのです。しかし長く、牧師をしていると、多弁になってしまうのです。「教える者」になり、「傾聴」がおろそかになったのです。それを直すために、相手が憩うことのできるような、「こころの部屋」を持つようにしたのです。そのためには、「沈黙」が大切です。それは、生活に「すきま」を作ることです。「静かで安らいだ人間」になるのです。「自分の心に語り、静まれ」というみことばを、黙想するのです。以上が、今回の学びです。この「麦の会」は、参加してから、9年になる。話すのが楽しいから、続いているのだろう。

麦の会(40)

9月26日(水)の、麦の会は、日間賀島の旅と重なったため、欠席した。そのため、本だけを読んで、書く事にした。今回は、7、一人を慰めることができたら 8、主が隣におられるリアリティ の2章を読んだ。7、は、讃美歌312番「いつくしみ深き」の二節に、「祈りにこたえて慰めたまわん」とあります。この言葉は、「一人の人を慰めることができたら、私の人生に悔いはない。」を、思い出させました。「多くの人」ではなく、「一人の人」です。人を慰めるのは、簡単なことではありません。子供達が、私の気持ちを分かってくれないと、両親に訴える事が多いのです。慰めるのは、身内の方が、他人より難しい面もあります。人に慰めを与えるには、自らが慰められるという経験が必要なのです。クリスチャンは、神からの慰めがあります。「自ら慰められた人だけが、他の人を慰めることができる。」(テオドール・ボヴェー)のです。パウロは、「互いに慰め合いなさい」と語っています。これは、深く味わいたいことばです。8、は「主が共におられる」とか「主と共に歩む」ということばを、クリスチャンが、よく使います。これは、信仰生活を、端的に表しています。この「共に」とは、イエスが、前でも後ろでもなく、隣りを歩かれる方なのです。「エマオ途上」のイエスと弟子たちに見られるものです。主は、私の手を取って、起こしてくださるのです。「良きサマリヤ人」のようなものです。イエスは、隣りにいて、御顔のまなざしを向け、御手をもって触れてくださるのです。「主が隣におられるリアリティ」は、人の苦しみや悲しみを、「繊細な感受性」を持って感じ取っていくとき、その交わりの中に、体験されるのです。ヨハネは、「互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられる。」と述べています。イエスが「隣」におられるリアリティとは、互いに愛し合うことによってもたらされるものなのです。以上が、僕が欠席した麦の会の学びです。

日間賀島

9月26日(水)に、友人5名と、日間賀島へ出掛けた。車で、高速道路を走って行った。曇り空の涼しい朝だった。知多半島を南下した。バスの旅よりは、車内が狭いため、足腰が疲れてしまった。8時過ぎに、多治見市を発って、師崎港に着いたのは、11時頃だった。磯の香りが、海に来たと思わせた。海岸の丘陵地に背の高いホテルが立てられていた。そこに泊まると、眺望が素晴らしいだろう。民宿の渡船で、約7分。島に着いた。民宿「すぎ浦」の船だ。その民宿で、海鮮料理に、舌鼓を打った。ゆで蛸、ひらめのお造り、車海老、大アサリ、渡り蟹などが、出された。新鮮な魚介類のため、美味しかった。お刺身も、嚙み応えがあった。こんなに魚介類を食べたのは、初めてだった。食べ終わってから、風呂に入った。風呂上がりは、さっぱりした。2時前に、民宿から、港へ行き、渡船に乗った。師崎港に着いて、多治見市へ向かった。途中「魚太郎」という魚市場へ、立ち寄った。帰りは、ドライブインで、休憩しながら、走って行った。夕方の4時頃から、雨降りになった。5時頃、多治見市に着いた。車で、家まで送ってもらった。少し疲れたけれど、初めて訪れた日間賀島。海は、汚れていたけれど、釣りをしている人達が見られた。忘れられない旅になった。費用は、9千円。多治見市では、喫茶店で休憩した。2月の敦賀市、8月の高山市、9月の日間賀島、と旅が続いた。これからも、機会があれば、出掛けたい。
プロフィール

kazu0322

Author:kazu0322
僕のブログです。感想があれば、投稿して下さい。タイトル「そよ風」のような、爽やかな記事を書きます。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR